日本のゲームはなぜ欧米で愛され、なぜ人気を失い、どのようにして復活したのか――FFの生みの親や「悪魔城」シリーズを手掛けたレジェンドたちが語る

モナコの地で、日本のゲーム業界について考える

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フランスは日本のコンテンツが特に愛される国として有名だ。サブカルチャーもその例に漏れず、漫画の市場が日本の次に大きいという。もちろん、日本のゲームも愛されている。同じフランス語が使われ、フランスのニース市から車で40分程度の距離に位置する世界で二番目に小さい国モナコで、MAGIC 2023というアニメ・ゲームの祭典が2月25日と26日に開催された。フランスを中心としたヨーロッパのゲームファンにとっては坂口博信氏(「ファイナルファンタジー」)、五十嵐孝司氏(「悪魔城ドラキュラ」)、小島文美氏(「悪魔城ドラキュラ」)と握手して、ゲームパッケージなどにサインを書いてもらう機会となった。『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』にクワイエットとして出演したオランダ出身のステファニー・ヨーステン氏も参加し、ファンと交流して現地メディアの質問に答えた。

MAGIC 2023では複数のトークセッションも行われ、日本人クリエイターを招き入れたゲーム関連のセッションでは筆者が未熟ながら司会を務めた。特に興味深かったのは、上記4名によるラウンドテーブルだった。90分に及ぶセッションで、日本のゲーム業界を振り返るというなかなか壮大なトーク内容が展開された。普段であれば自身のゲームについて語るインタビューがほとんどだが、ゲーム業界そのものについて伝説的なクリエイターの考えが聞ける貴重な時間となった。本稿ではその内容を書き起こし、一部読みやすくアレンジしている。ぜひ読んでほしい。

クラベ:Bonjour! みなさんこんにちは。今日は日本のゲームクリエイターを招き入れたセッションをお届けします。日本のゲーム業界の盛り上がり、衰退期、そして復活という長い歴史を振り返っていきたいと思います。私IGN JAPANのクラベ・エスラが司会を務めます。よろしくお願いします。それでは、さっそくゲストをご紹介します。僕と同じオランダ出身で、『メタルギアソリッドV』でクワイエット役を演じたことがきっかけでゲーム業界で活躍するようになり、今は『Last Labyrinth』や今月発売したばかりの『Wanted: Dead』など、様々なタイトルに出演されているステファニー・ヨーステンさん、よろしくお願いします。

© Fabbio Galatioto

ヨーステン:こんにちは〜。Bonjour! ステファニー・ヨーステンと申します。日本に6年間住んだことがあり、最初は女優として活動していたんですけど、今はゲームのクリエイティブな面にも関わることになっています。『Wanted: Dead』ではカットシーンディレクター、『Vengeance is Mine』というまだ開発中のタイトルではクリエイティブディレクターもしています。よろしくお願いします。

クラベ:ありがとうございます。次のゲストは長年「悪魔城ドラキュラ」シリーズのキャラクターデザイン及びイラストを担当された小島文美さん、よろしくお願いします!

小島:Bonjour! Je m'appelle Ayami Kojima(こんにちは、小島文美と申します)。このまんなかのイラストを描きました(画面中央のイラストを指さして)。

 
本セッションのために作られたビジュアルイメージ。

クラベ:よろしくお願いします。続きまして、イガヴァニアとも呼ばれるジャンルを築いたあのお方です。『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』から長年「悪魔城ドラキュラ」シリーズを手掛け、独立されてから「Bloodstained」シリーズを手掛けている五十嵐孝司さん!

五十嵐:よろしくお願いします。元コナミ、今はArtPlayの五十嵐と申します。『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』で「キャッスルヴァニア」シリーズを担当させていただきまして、今は『Bloodstained: Ritual of the Night』と……先ほど紹介してもらった内容をそのままなぞってみました(笑)。

クラベ:はい(笑)。では、最後になりますが、「ファイナルファンタジー」シリーズの生みの親であり、現在はミストウォーカーとして様々なタイトルを手掛け、最新作として『Fantasian』というゲームを送り出し、さらに『ファイナルファンタジーXIV』の非常に熱心なプレイヤーでもいらっしゃる坂口博信さん!よろしくお願いします。

坂口:坂口です。先ほどランチで赤ワインを3杯ほど飲んできました。今日はちょっと口が滑るかもしれません(笑)。

クラベ:いろいろと僕も今日はぐいぐいと聞いて行けるかなと思いますので、楽しみにしております。それでは、さっそく始めていきたいと思います。皆さんは普段からインタビューに答える機会が多いと思いますが、このメンバーで日本のゲーム業界について語るというのは、なかなか今までにないことなのかなと思いますが、みなさんはこれまでにお会いしたことはありましたか?

坂口:今回初めてお会いできました。「悪魔城ドラキュラ」はもちろんよく知っていて、僕もプレイヤーなんですけど、お話するとそれぞれ意外な深い話が出てきて、例えば五十嵐さんは実は山奥に住んでいて、非常にキノコに詳しいとかですね(笑)。いろんな話を聞くことができて、そういう意味ではこのMAGICというイベントは素晴らしくて、ランチもディナーも一緒にしながらいろんな話をさせていただいて本当に楽しい時間を過ごしています。

クラベ:五十嵐さんはいかがですか?

五十嵐:まず、小島文美さんに初めて会ったとか言うと怒られるので、それは知っているという前提で、お二方(坂口さん、ヨーステンさん)は初めてなんですよ。特に坂口さんって、僕の中では伝説であり、「本当にいたんだー」みたいな感じの勢いなので、会えて光栄です。ステファニーさんはコナミに同じ時期にいたんですけど、階が違うと別世界なんですよね(笑)。なので、初めてです。はじめまして。

五十嵐孝司氏(左)と小島文美氏(右)。『悪魔城ドラキュラ X 月下の夜想曲』から「悪魔城ドラキュラ」シリーズで長年一緒に仕事した。

クラベ:五十嵐さんと小島さん以外は初対面だったんですね。いろいろとキノコとかの話が出てきて……で、キノコと言えばですよ……やはりマリオじゃないですか?

坂口:そうなんだ……(笑)。

クラベ:……(笑)。まあ、日本のゲーム業界はですね、すごく長い歴史があって、アーケードゲームまで遡っていくと、さらにいろいろと話が長くなるんですど、今日は家庭用ゲームを中心に語っていこうということで、まずマリオの誕生、ファミコンというのはすごく大きな出来事なのかなと思うのですが、この頃すでに坂口さんはスクウェアでゲームを作っているじゃないですか。ファミコンが出てきて、マリオが登場するこの頃をどのように振り返りますか。

坂口氏の処女作『ザ・デストラップ』。初代『スーパーマリオブラザーズ』の1年前である1984年に発売した。

坂口:もちろんマリオはファミコンの代表作で、素晴らしかったんですけど、やはり当時の自分としては『ゼビウス』ですね。アーケードゲームであった『ゼビウス』がほぼそのまま小さくて安いファミコンで動くということが不思議でした。当時はPCで自分でゲームを作っていたんですけど、PCでもあのスクロールを滑らかにすることは無理だったんですね。ファミコンはゲームに特化したハードだからできたことなのだけど、すごくショックを受けました。これでゲームというのは変わるんだなという感じでしたね。

クラベ:五十嵐さん、小島さんはこの頃まだゲーム業界に入る前のときかと思いますが、当時のファミコンブームというのをどのように記憶していますか。

五十嵐:まず、友達が持っていてうらやましいというのが最初でした(笑)。坂口さんの方から『ゼビウス』の話が出ていたと思うんですけど、僕もパソコンでいろいろプログラムを組んでゲームをひとりで勝手に作っていたんですけど、『ゼビウス』の画面をどうしても作りたくなって、ベーシックで組んだら全然動かなくて、アセンブラーで組んだらなんとかなるだろうと一生懸命にアセンブラーの言語を覚えて、動かそうとしたらやっぱり動かなかったという経験があったので、ファミコンはなんでこんなにすごいのかと、僕もショックを受けていました。

クラベ:キノコよりも『ゼビウス』だったんですね。

坂口:『ゼビウス』は何もないところを爆撃するとタケノコみたいになるので……まあタケノコもきっと五十嵐さんはよく知っていると思います(笑)。

五十嵐:タケノコもよくあの……よく家にやってきました(笑)。

クラベ:小島さんはこの頃、まだご自身がゲームに携わる日がくると思っていなかったんですよね? 五十嵐さんはすでにご自身でゲームを作っていたわけですが、小島さんにとってはまだ距離の遠い業界だったのかなと思います。この当時、ゲームやファミコンをどのように見ていたのでしょうか。

小島:そうですね。本当にその頃私はまだまったく触れていなかったんですね。傍から見ていると、頭のいい人がやったり作ったりするものだなと思って、たぶん私には関わりがないんだろうなーと思っていました。ただ、新しい文化が始まるのかなという気配は感じましたね。

小島氏による、ゲーム以外のイラスト。

クラベ:1986年に初代『ドラゴンクエスト』、それから『ゼルダの伝説』というタイトルが出るわけですが、今になって思えば『ドラゴンクエスト』がJRPGと呼ばれるようになったジャンルの元祖、『ゼルダの伝説』は日本的な感覚のアクションアドベンチャーの始まりと言っても良さそうな気がします。この当時すでにゲームを作っていた坂口さんはこの両タイトルの発売を見て、そして実際にプレイされて何を感じたのでしょうか。

坂口:『ドラゴンクエスト』が出て、ファミコンでもRPGが作れるんだというのは驚きましたね。ファミコンカセットは容量が少なかったので、たぶんRPGは作れないんだろうと思い込んでましたから、いい意味でショックを受けて『ファイナルファンタジー』を作りだしたんですね。「ゼルダ」はもう、ただただ楽しかったです、プレイヤーとして。任天堂のゲーム、宮本(茂)さんの作るゲームってやっぱりレベルが違って、純粋に楽しみましたね、当時は。

80年代前半の頃のスクウェア社。右から3人目のピースしている男性がまだ髭の生えていない若き坂口氏。

クラベ:坂口さんのなかで『ドラゴンクエスト』を見て「RPGが作れる」とわかったことがひとつのきっかけとなったわけですが、逆にそこで「素直に楽しかった」とおっしゃる「ゼルダ」の方向じゃなくて、RPGの方向に動いた理由はなんだったのでしょうか。

坂口:マリオにもストーリーがあるじゃないですか。「ゼルダ」のストーリーってその延長線上だと思うんですよね。ストーリーは全体の比重でいうと、決して一番重要なものではないと思います。で、僕はやっぱり一番上にストーリーがくるものを作りたかったので、そういう意味で『ドラゴンクエスト』は堀井雄二さんの文章やテイストが――もちろん音楽やシステムも素晴らしいんだけど――堀井さんのストーリーが一番上にあると思います。それが自分の作りたいものに近かったし、そこが目指したいところだったという感じですね。

クラベ:五十嵐さんは逆に「ゼルダ」の方から影響を受けて「月下の夜想曲」に繋がるわけですが、そうなってくると五十嵐さんにとってのゲームで一番重要なものの優先順位が坂口さんとは少し違うということになるんでしょうか?

五十嵐:はい。やっぱりちょっと違っていて、(僕の作るゲームは)肝がアクションなので、気持ちの良さとかアクションのゲームプレイが一番大事なところです。アクションゲームって基本的に修行みたいなものなんですよ。ここをジャンプしろとか、避けろといった感じのもので、目的がないとただの苦行になるので、それを盛り上げるためにストーリーがなきゃ困るものではあると思います。ただ、重要なものではあるんですけど、そこまでトップではないんですね。

クラベ:初代『ドラゴンクエスト』の翌年1987年に『ファイナルファンタジー』が発売されて、そこからさらにRPGというブームが日本で起きて、『ドラゴンクエストIII』では大行列ができるといった有名なエピソードもあると思います。堀井雄二さんがRPGブームを日本で最初に作りだしたクリエイターであるとすれば、さらにそれを大きく盛り上げ、そして特に海外に浸透させたのが坂口さんの「ファイナルファンタジー」になってくると思います。坂口さんの中でそのような大きなムーブメントを動かしているという自覚はあったのでしょうか。

『ファイナルファンタジーII』を開発している頃のスクウェア。この頃、後に有名クリエイターとなるスタッフがすでに多数在籍していた。

坂口:日本ではRPGブームが起きて、ムーブメントに乗ってた感覚はありましたけど、やっぱり欧米では受け入れられなくて。ピクセルアートとそれによる三頭身の頭が大きいキャラクターがその当時は子供向けのキャラクターだという捉えられ方で、なかなか世界には広がっていかないという、歯がゆいこともすごくありました。それが『ファイナルファンタジーVII』でCGを取り入れたことでようやく欧米に受けるんですけど、ムーブメントを作り出しているというよりは、もっと広げたいんだけど、どこかでストッパーがかかってそれを超えるにはどうしたらいいのかというのを毎年毎年繰り返していたような感覚があります。

クラベ:確かにファミコンやスーパーファミコンは欧米でもすごく人気でしたが、子供のためのおもちゃという感覚が強くて、「マリオ」や「ロックマン」、それこそ「悪魔城ドラキュラ」シリーズといった言葉の理解が必要ない、子供でも遊べるタイトルが流行ってて、文字を読む年齢の人がストーリーを真剣に体験するものというイメージが僕のなかにあります。ステファニーさんもこの頃はまだ子供だったと思いますが、この頃のオランダにおけるゲームに対する人々の認識というのはどんなものだったと思いますか。

 
© Fabbio Galatioto

ヨーステン:私も初めてプレイしたゲームが「マリオ」でした。本当にまだ小さい子供の頃で、4歳くらいだったと思います。子供だったのでピクセルアートに対して全然抵抗はなかったですね。RPGなどもプレイしてみたい意志があったのに、小さい頃はまだ意味がわからなかったり、うまくプレイできなかったりという経験もありました。

クラベ:そこからちょっと後になって「ファイナルファンタジー」と出会うことになるわけですけど、(ステファニーさんは)このシリーズが大好きという話を前にも聞いていました。「ファイナルファンタジー」との出会いについて少し教えてください。

ヨーステン:ちゃんと出会ったのは10代の頃で、プレイした順番がちょっとおかしいんですが最初にやったのは『ファイナルファンタジーX』です。あまりにも好きだったのでその後すぐに「VII」をやって、全然順番が違う感じでプレイしていました(笑)。

クラベ:それまでは「マリオ」といったゲームで遊んでいたと思うんですけど、ストーリーや世界観の濃厚な「ファイナルファンタジー」と出会ったときはどんな気持ちだったんですか。

ヨーステン:オランダでも――欧米は全体的にそうだったと思うんですけど――アクションゲームの方が流行っていたので、私の周りにRPGや日本のゲームをやっている人が少ない感じでしたが、私は逆に「日本のゲームは特別だ」という感覚を持つようになりましたね。

クラベ:『ファイナルファンタジーVII』をきっかけにゲーム業界がいろんな意味で大きく変わるわけですが、実は同じ年に五十嵐さんの「月下の夜想曲」が出て、メトロイドヴァニアという流れを生み出すわけですが、同じ年にそういう記念碑的な作品が発売しているのも感慨深いですね。五十嵐さんはこのときに、しかも結構近いタイミングで発売した『ファイナルファンタジーVII』というタイトルをどのようにご覧になっていたのでしょうか。

五十嵐:もちろん、「これ、すごいのがきたぞ」という感覚なんですけど、「なんで同タイミングなのかな……(苦笑)」と。

一同:(笑)

五十嵐:ちょっと困るな、セールス的に、と。そんな感じで作り手側というか売り手側のすごいエゴな感じで考えてました(笑)。

クラベ:坂口さんにも同じことをお聞きしたいです。「月下の夜想曲」というタイトルを当時はどのように意識されたのでしょうか。

坂口:他のタイトルというよりは、それまでは任天堂(プラットフォーム)しか知らない形でやってましたから、成人して世の中に出ていくみたいな……なんというのかな。PlayStationで発売して、もっとゲーム業界というのは実は広がりがあるわけじゃないですか。そういうところに出ていく楽しさもありつつ、ちょっと恐怖感もありました。自分たちできちんと歩いていかなきゃいけない、と。逆にそれまではどこかで任天堂に守られていたような感覚がありました。そういうところで精一杯だったような気がしますね、あの頃は。

クラベ:小島さんもこの頃に初めて五十嵐さんから声がかかってゲームのキャラクターデザインやイラストを描くようになるわけですが、このときゲームに対してどんなイメージをもたれていたのでしょうか。

小島:先ほども言ったように、まだかしこい人たちや特別なマニアの人がやっているものかなって思ってたんですけど、「ファイナルファンタジー」が出てきた頃、周りのお友達も夢中になってやり込み始めて、すごいことになってきたという感じで。その頃にちょうど私も「月下の夜想曲」で関わらせていただいたので、こっちもなんだか大変なことになってきちゃったと思って、仕事的に(笑)。そういう文化の中に入れてもらえたんだー、と思いましたね。

小島氏による『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』のアート。

クラベ:「ファイナルファンタジー」シリーズや「悪魔城ドラキュラ」シリーズが流行る90年代を中心に、日本のゲームは世界的にすごく愛されて、評価もされて、いわゆる黄金期のような時期を迎えるわけじゃないですか。ゲームが素晴らしかったというのはもちろんのこと、「ファイナルファンタジー」シリーズであれば天野(喜孝)先生、「月下の夜想曲」以降の「悪魔城ドラキュラ」シリーズであれば小島さんの絵がすごくアイコニックだったというのも大きな要因なのかなと思います。アイコニックなアートを生み出そうというのは意識されていたのでしょうか。

小島:そうですね。五十嵐さんから世界観を聞いたので、それからのシリーズ作品もいくつか描いたので、あまりそれぞれの世界観をばらばらにしてもいけないと思ったので、アイコニックと言えるほどかどうかはわかりませんが、なるべくゲームのソフトを買った人がパッケージを見て「あれのシリーズなんだ、あれの仲間なんだ」と気が付いてもらえるような、そういう雰囲気は意識していましたね。

クラベ:ステファニーさんはオランダのライデン大学で日本学を専攻していますよね。当然、日本のことが大好きな人がたくさん集まるのかなと思うんですけど、やはり日本のゲームが好きな人はたくさんいたんでしょうか? ステファニーさんのように後にゲーム業界で活躍するようになった人は他にもいたのでしょうか。

ヨーステン:そうですね。ライデン大学の日本専攻はなんというか……独特なオランダ人が集まる場所で(笑)。世代によって違うんですけど私の世代は特にゲームとアニメが好きな人が確かに多くて、その前の世代は格闘技とか空手が好きな人が多かったですね。

坂口:そうなんだ。面白いなぁ……。

ヨーステン:はい。なので、世代によって全然違いますね。でも、(私の世代で)ゲーム業界に入った人も何人かいると思います。ずっと日本に住んでいる人もいれば、まったく関係のないことをやっている人もいれば……結構バラバラですたね。

クラベ:ステファニーさんがおっしゃったように、世代によって「どうして日本に興味を持つのか」というのが違うわけでもあるし、『ファイナルファンタジーX』を遊んでいた頃はすでに日本のゲームを遊ぶ人が減っていたという話も出てきましたけど、その後さらに「グランド・セフト・オート(3)」が出たり、セガがハード事業を撤退して代わりにマイクロソフトが入ったりして、特に日本のゲームが苦戦を強いられる時期が続いていました。どうしてそうなってしまったのかということについて、坂口さんと五十嵐さんの考えをお聞きしたいです。

坂口:難しい質問ですけどね。僕なりの考えで、ひとつは最初に日本のゲームが流行ったのは、ファミコンや初代PlayStationがちょっとくせのあるハードウェアなんですよね。これを理解するのに任天堂もソニーも日本にあったので、日本の方が有利だったと思うんですよ。教えてもらえる人がすぐそばにいるし、日本語ベースでそれがある。だからどうしても、あの頃は日本のゲームの方が――こう言うと怒られちゃうかもしれないけど――質が上だったと思うんです。それがたぶん「日本のゲームは面白いよね」と思ってもらえた理由であって、その後に逆転現象みたいなことが起きるのは、ハードウェアのくせがなくなったからなんですよね。もっとPCに近い、ノーマルな状態になって、そのときに自分たちの文化から発信したものの方が親近感がある。あとは逆に日本のゲームで育ってきたから西洋のゲームの方が新鮮で、初めて触れるもので、エンターテインメントにおいて新鮮というのはすごく大事なんですよ。だからちょっとおかしな現象が起きたんだけど、日本のゲームに慣れ切ってたから西洋の身近に作った人のゲームの方が「新しい!」と感じられたんだと思います。

クラベ:非常に興味深いお話をありがとうございます。五十嵐さんもぜひお考えをお聞かせください。

五十嵐:ちょっと被ってしまう話にはなるんですが、日本ってコンシューマーに特化した技術力をすごく磨いてきたんですね。逆に、北米欧州はPCの文化がすごく残ってたんですよ、根深く。で、どんどんPCとの境界線がなくなってきて、今までハードの重箱の隅をつついて能力を発揮して作っていたものが全然使えなくなって、PCの表現力でやらないといけなくなったんです。(日本の)メーカーはそれをやるのに必死になって、逆にゲームのところがちょっとおざなりになるということもあります。逆にそのときのことを欧米の人に聞くと「グラフィックでちょっと頑張ればできるから」という話になるんですけど、「俺たちはそこを一生懸命に頑張らないといけないんだよ」という違いがあって、そういうところで一歩先に行かれてたというようなイメージが僕の中ではすごくあります。

クラベ:それこそ、今となってはUnrealやUnityといったフリーエンジンであれば、英語で情報がたくさん出てくるのに対して、日本語だと情報が限られているといったデメリットもあるのかなと思います。そうした状況のなかで、ソニーさんと任天堂さんはどちらも拠点が日本でありながら、ゲーム業界との向き合い方がかなり対照的なところがあると思います。というのも、ソニーさんはPlayStation 4の世代になると(ゲーム部門SIEの)拠点をアメリカに移すじゃないですか。一方で、任天堂は相変わらず京都に拠点を置いて、Nintendo Switchで売れているゲームも日本のタイトルが中心になっていると思います。PlayStationはファーストパーティータイトルであっても、海外中心に変わってきているわけですが、両ハードメーカーのそれぞれのアプローチの違いについてのお考えをお聞きしたいです。

坂口:また翻訳しづらい、長い質問(笑)。これも難しい質問ですけど、どの方向を向くかは大きくふたつあって、要はマーケティングなのか、クリエイティブなのか。で、任天堂はクリエイティブなんですよ。あくまで宮本茂さんがまだ中心にいて、自分たちの面白いと思うものをクリエイトして、結果マーケティングもしたい。だから日本が拠点なんですよ。ソニーは幅広くやっている企業でしかもすべてのジャンルにおいてやっぱり欧米の方がマーケットが広いですから、マーケティングが強いと当然一番大きなマーケットでやるべき。そこを中心にその人たちが中心になるべきですね。これはもう、企業のありかたの問題で、ゲームの文化的な問題とはまた別な気がします。

クラベ:五十嵐さんはいかがですか?

五十嵐:すっごい答えにくい質問ですね(苦笑)。……難しいんですけど、ソニーは映画的なビジネスを狙ってるのかなというふうにちょっと思っていて。大きなマーケットに対してやっているということももちろんあるんですけど、「映像の中心はここだよね、じゃあここで映像を作って」みたいな感じのちょっとハリウッド的な作り方なのかなと思っていまして。で、逆に任天堂はおもちゃなんですよね。おもちゃとして提供すると考えたときに、おもちゃは自分たちの面白いと思っているものを発信すればいいわけじゃないですか。結果的に「世界が」とか、「日本が」とかよりも自分たちが面白いと考えているものを、日本人であれば日本から発信することになりますし、映画的な作り方だとやっぱり優れた映像表現をするところになるので、そういうふうになったのかなと思います。超難しいです……(笑)。

クラベ:このトークの割と最初の方で坂口さんから、ひとつの要因として考えられるのが、欧米のゲームがしばらく遅れをとって、それがフェアになったことによって(欧米のゲームが)逆に新鮮に感じられたということが挙げられたじゃないですか。しばらく経つと逆にそこから一周回って、最近はまた日本のゲームが流行っているというのもまた、逆に新鮮になってきているからなのかもしれないですね。日本のゲームがもう一度盛り上がり始める流れを作りだした最初のタイトルのひとつが『メタルギアソリッドV』なのかなと思います。ステファニーさんにとってはゲーム業界で働くきっかけとなったタイトルだったんですが、ずっと愛していた日本のゲームの仕事ができるようになったのはどんな経験だったのでしょうか?

ヨーステン:当時のエージェントから「コナミで新しいゲームのモーションキャプチャーのアクターのオーディションあるよ」という連絡があったんですけど、全然どんなゲームなのか教えてもらえずに行きました。でも、コナミの新しいゲームというだけでかなり興奮しました(笑)。これは大きいかもしれないと思って、一生懸命に頑張ろうという思いでやりました。それでオーディションに受かったんですけど、あとから「メタルギア」の新作と知って……。

クラベ:五十嵐さんではなかった、と。

一同:(笑)

 

ヨーステン:とてもうれしかったし、光栄でした。

クラベ:ステファニーさんはそのあといろいろと日本のゲームだけでなく海外のゲームのプロジェクトにも携わるようになりますし、クリエイティブな側面でも関わるようになっていくじゃないですか。日本のゲーム会社と海外とではどのような違いを感じているのでしょうか。

ヨーステン:私は元々日本のゲームメーカーの方がストーリーを大事に作っていると思ってたんですけど、今は世界的にゲームの作り方が変わって、欧米と日本のメーカーはお互いに影響し合ってると思います。例えば、去年はイタリアのReply Game Studiosによる『Soulstice』というゲームに出演させていただいたんですけど、イタリアの開発者なのにすごく日本のゲームにインスパイアされていました。めちゃくちゃ日本のゲームに近い感覚で作っている人もいますね、今は。面白いですよね。

クラベ:インディーゲームを中心に、子供の頃に日本のゲームで遊んで、大人になって、そこから影響を受けて作るという流れも欧米でできていると思います。それこそ、坂口さんと五十嵐さんのゲームから影響を受けて作っている、または小島さんの絵から影響を受けて、という方もいらっしゃると思います。小島さんにちょっとお聞きしますと、自分たちが90年代に作っていたものに、今度は海外の人々がインスパイアされてものを作るということに対してはどんなお気持ちでしょうか。

小島:そうですね。日本だとゲームはおもちゃという感覚で作られてるところもあるかなって話があったんですけど、日本だと若干、ゲームや漫画は若者向けという捉え方をされがちですよね。けれども、海外だと立派な大人の方が漫画やゲームにまともに向き合ってくれて、熱く語ってくださるんですね。私どもの絵なんかもちゃんとアートとして扱ってくれる、そういうちょっぴり感覚の違いがあると思うんです。海外の若い方たちが日本の今まであったものを見て、子供の頃から育んだ感性を、自分たちがものを作れる年になったときに、いろいろまた展開してくれてるんだろうなー、というふうに見えていますね。

クラベ:日本では逆に欧米のゲームが流行るようになって、それに影響を受けた国産タイトルが出るようになっています。RPGといえば「ファイナルファンタジー」という時代があったのに対して、いっときは「The Elder Scrolls」や「Dragon Age」といった(欧米の)RPGが主流になってきた時期があったなかで、坂口さんはそうした海外の作品から影響を受けた作品もあったりしたんでしょうか。

坂口:どうかな……。影響を受ける受けない以前に、ゲームもちょっと高度になってきたので、そういう文化の違いとか……例えば小さな子ってこっち(欧米)では最初からひとりの部屋を与えて寝かせるじゃないですか。でも、日本はそれを未だにやらないで、みんなで川の字になって寝るといった根本的な生活習慣の違いがもう滲み出るようなものにゲームもなってきたと思うんですよね。だから、僕は西洋のものが主流になってきたからといってそれに刺激を受ける必要はないと思っていて、自分の日本特有の文化みたいなものを逆に大事にすることで、みんなに興味を持ってもらえるんじゃないかという気持ちもあって、あまりそういう意味では勉強しようとも思わなければ影響もそんなに受けてなくて、ただただ自分の感性で淡々と作っているような気がします。

クラベ:五十嵐さんの方はまたちょっとジャンルが違うのですが、いわゆるメトロイドヴァニアというのはより直接五十嵐さんの作っていたゲームに影響を受けた作品たちがたくさん出ているなかで、そういった作品をどのように意識されているのでしょうか。

五十嵐:まず、半分本音で「俺の畑にくんなよ」というところから……。

一同:(笑)

五十嵐:まあ、これは冗談なんですけど、インスパイアされていろんな作品が出てくるというのは自然の流れだと思いますし、そういった作品のなかでいいものがあったら触ってみます。僕よりもディレクターがそういうのを集めて遊ぶんですけど、いいところはいいとして、「ここがもったいないよね」というところがあれば我々の方ではそういうところがないようにしたりとか、刺激をお互いにたぶんしていると思うので、もう仲間みたいなものですね。刺激しながらもっと高度なものを作っていくというような感じで接していますね。

クラベ:一時期は欧米のゲームの方が主流になったという話があったと思いますけど、そうはいってもここ10年で最も評価されたゲームの話をすると、だいたい出てくるのが『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』や『ELDEN RING』に、それこそ『メタルギアソリッドV』などですね。なのでまたかなり逆転しているという印象が僕のなかにはあるんですけど、そういったタイトルを坂口さん五十嵐さんがどのようにご覧になっているかをお聞きしたいです。まずは五十嵐さんからお願いします。

五十嵐:よくできてるなー、というのがまずあって。とはいうものの、我々にできることは我々にしかできないので、そういう意味では何がいいのか、不満はあるのかというのを分析しつつ、自分たちの糧にさせていただくという感じですかね。

クラベ:ひとつ大事なタイトルを忘れてたんですけど、最近の日本のゲームといえば『ファイナルファンタジーXIV』も非常に大きいのかなと思いますけど、それも含めて坂口さんにも教えていただければと思います。

坂口:たぶん今気を使って言ってくれたと思いますけど、クラベさんが言う前に僕がそういう答えを今、用意してたんですよ(笑)。

クラベ:やはりそうでしたか(笑)!

坂口:ふふっ。この1年半くらい、「XIV」しかやってないんで……(笑)。1日、多いときは12時間くらい、毎日プレイしてたので、『ELDEN RING』とかについて「素晴らしい! やった方がいい!」という話を聞くんですけど、……やってる時間がないんですよ(笑)。

クラベ:ゲームの開発で忙しいから……ではなくて(笑)。

坂口:まあ、やっぱり作り手としては自分が「面白い!」と思うもので遊んでいたいので、それもまたひとつの、自分が生み出すエネルギーになるところがあるので、やらなきゃいけないなと思いつつ……すみません、「XIV」しかやってません(笑)。

クラベ:MMORPGというジャンルは元々、海外から始まった流れであり、タイトルとしても海外のものがメインという時代がずっとあったなかで、坂口さんはいち早く「XI」を当時発案されていると思いますが、この「XIV」が初めて「今一番熱いMMORPGは日本のゲームだ!」といえるゲームだと思うんですよね。その理由はなんだと思いますか。

坂口:ディレクターの吉田(直樹)くんも言ってますけど、「FFXIV」は「ファイナルファンタジー」のテーマパークなんですよね。それをコンセプトでやっていて、そういう意味で言うと、MMORPGのふりをしてるけど、あれはちょっと違って、過去35年の「ファイナルファンタジー」の世界観・キャラクターすべてを使ったディズニーランドみたいなものなんです。だからちょっとそういう意味では存在が違って、もしかしたら新ジャンルなのかもしれないですよ。MMORPGの上にもうひとつ上澄みのある、「テーマパークMMORPG」みたいなもので、それが受けたんじゃないですかね。特に最初のFFから「VI」までのキャラクターとか、天野さんの絵がそのままボスなどで出てきて、植松(伸夫)さんの曲のアレンジ版が流れますから、もう、それだけで「最高!」という感じですね。

クラベ:こうしたタイトルを中心に日本のゲーム業界に新しい流れがきている一方で、いわゆる日本のゲームの黄金時代を築いた坂口さんや五十嵐さん、他にも鈴木裕さん、稲船敬二さん、小島秀夫さんなど、当時のクリエイターのほとんどが独立して、自分の本当に作りたいものを作っています。当時のクリエイターが独立するという流れができた経緯についても、おふたり(坂口さんと五十嵐さん)のお考えもお聞きしたいです。

五十嵐:全部が全部同じとも思わないので、僕のケースから言わせていただくと、簡単に言うと過去にやってきたものがあって、そのファンがいるだろうと思っているんだけど、それが作れない状況が続いたんですよ。企業として正しいとは思うんですけど、利益重視でいくと過去のコンテンツをやるよりも、例えば日本ではソーシャルアプリがすごく流行ったんですけど、そういったところにシフトするのはしょうがないんですよね。そうなってくると、自分たちが今までやってきたものがなかなか出せない状況になってきます。そんなときに悪魔の声から「やめた方がいいっすよ」という囁きがあって……(笑)。それで僕はやめることになるんですけど、大なり小なりそういう感じで、企業の方向性と自分たちがやりたいことが乖離していったんじゃないかと思います。

小島氏による「Bloodstained」のプレゼントアート。

坂口:僕の場合はもうちょっとミーハーで、2000年すぎくらいかな、ジェームズ・キャメロンのオフィスに遊びに行けたんですよ。CG映画をやっていた関係でもあるんですけど、ちょうど『タイタニック』を撮り終わったあとで、キャメロンさんの部屋に本物のタイタニックのいろんなオブジェが飾ってあって、カッコいい部屋なんです。で、「他のスタッフの部屋とかも、アーティストとかもいますよね? 見せてください」と言ったら「いや、俺ひとりだよ。あと秘書がふたりいるだけだよ? 映画を撮るときに集めればいいんだよ」という話を聞いたときに、「こうなりたい!」と……(笑)。これが一番カッコいいと思ったんですよね。それでミストウォーカーになって、ラッキーだったのはゲーム業界がスタートして40年くらい経って、昔と違って会社から出たプログラマーとかアーティストでフリーでやってる優秀な人が存在するんですね、今は。だから『Fantasian』もまさしくそうなんですけど、優秀な人を30人、40人ほど期間限定で集めて、ゲームを作れるという、ようやくそういう環境になってきたので、せっかくなのでキャメロンになれるチャンスなのかなと思っています(笑)」

クラベ:早いもので時間がきてしまいましたので、最後にみなさんお一人ずつメッセージを頂戴したいと思います。

小島:最初の話に戻るんですけど、こういった機会があって、初めてお会いするクリエイターの方がいらして、大変感激してます。こういった場を作ってくださったMAGICというイベントや、日本の文化を取り上げてくださることをこれからも続けていただきたいなー、と思っております。

ヨーステン:私はまだ全然ゲーム業界のなかの新人で未熟なところもまだまだあるので、今回このような貴重な話をたくさん聞けて感謝しています。この場を作っていただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました。

五十嵐:こんなイベントに呼んでいただきましてありがとうございます。今後も呼んでいただけるように頑張っていきますので、「Bloodstained」をよろしくお願いします。

坂口:こうやって海外で、しかも今日はクラベさんにすごくいい質問を用意していただいて……なかなか普段は考えないじゃないですか、日本のゲームや海外のゲームとその違いについてや、自分が何にインスパイアされているのかとか。このモナコの地で新しく出会いもありながらそれについて考えることができたというのは本当に素晴らしい時間だったなと思うので、関係者の皆さんにもありがとうございます。クラベさんもナイス質問でした。

クラベ:ありがとうございます。今回ですね、実は最初60分のセッションだったんですよ。でもとても、これだけたくさんの方にお話を聞くとなると時間が足りないなと思ったので90分にしていただいたんですけど……まだまだ足りなかったなと思うので、来年は3時間やりましょう(笑)。ありがとうございました!

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