多くの人に初めて遊んだゲームは? という質問を投げかけると最初にソフトの名前、そしてつぎにゲーム機の名前が出てくることがある。

 無論、ゲーム機の名前だけを言う人もいる。「最初に遊んだのはスーファミ(スーパーファミコン)かな」とか。そうしたら、スーファミで何を遊んでいたのかと、ゲームの話をきっかけに会話が弾むことも多いが、若い世代ともなると知らなかったり、実際に遊んだことがなかったりするゲーム機がぽつぽつと出てくることがある。

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【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
個人的にものすごく印象に残っているのはゲームボーイカラー。初めて遊んだハードはスーパーファミコンだった気がする。

 そんな筆者も平成生まれであるためか、実際に遊んだことがないハードは多々存在する。読者諸氏でハード発売時に生まれていても、子どもだったから買えなかったとか……いろいろあると思う。

 いまから実際に遊ぼうとすれば、大変な代物もあるだろう。しかし、ここはゲームメディアの編集部。当然、昔のゲームを遊び、その当時の事情を知るベテラン編集者たちもいる。そんな人たちに当時の話を聞こう、そうしようと思い立ったのが本企画だ。

 もっともらしい建前をつけるならば、先達の興味深いお話を聞いて、少しなりとも勉強しておくというのが本企画“昔のゲーム事情を聞いてみた”である。

 昔はこんな感じだったのかと眺めてもらうもよし、自分のときは……と思い出に浸ってもらうもよしだ。記念すべき初回として、ファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場する前あたりの1970年代~80年代初頭について聞いてみた。

 何故、ファミコン登場までなのかというと、ファミコン登場前の当時のゲーム事情はどうだったのかが気になったからという単純明快な理由である。よろしければ、お付き合いいただきたい。

 なお、本稿は編集部内でのやり取りや当時の記憶などをベースに記事化したものであることをご了承いただければと思う。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
2008年の週刊ファミ通でも同種の企画をやっていた過去がある。

1970年代にあったこと(エンタメ)

 当時はどんなことがあったのか。筆者を含む昔を知らない人向けに、その年代にあったことを一部列挙してみた。

 列挙してみると、いまも続くコンテンツが多いことに驚く。というか、このころに始まった偉大なコンテンツは、約50年経ってもすごく盛り上がっているのでは……。

  • 大阪万博開催(1970)
  • ゴジラ』・『ウルトラマン』で知られる円谷英二氏が死去(1970)
  • トミカ発売(1970)
  • カップヌードル発売(1971)
  • 仮面ライダー』シリーズ放送開始(1971)
  • テレビアニメ『ルパン三世』シリーズ放送開始(1971)
  • コナミ設立(1973)
  • 宇宙戦艦ヤマト』放送開始(1974)
  • 株式会社営団社募集サービスセンター設立(後のエニックス)(1975)
  • エポック社から『テレビテニス』発売(1975)
  • 月刊アスキー創刊(1977)
  • スペースインベーダー』発売&ブーム(1978)
  • ゲームセンターあらし』連載開始(1979)
  • 機動戦士ガンダム』放送開始(1979)
  • ドラえもん』放送開始(1979)

1980年代初頭にあったこと(エンタメ)

 1980年代はファミリーコンピュータが発売するまでの当時あったことを一部列挙している。

  • アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』放送スタート(1981)
  • NECからPC-9801発売(1982)
  • アニメ『ゲームセンターあらし』放送スタート(1982)
  • アニメ『キン肉マン』放送スタート(1983)
  • 任天堂からファミリーコンピュータ発売(1983)

お話を聞いた編集部の人たち

ででお

アラフィフのファミ通ドットコム編集者。駄菓子屋でのアーケードゲームや、おもちゃ屋で展示されていたゲーム機とともに幼少時を過ごした。物心つくかどうかのころに家族旅行でプレイした“スクリーンに投影されたライオンなどの動物を撃つガンシューティングタイプのエレメカ(うろ覚え)”が何なのか知りたいそうだ。

みさいル小野

セガサターンやプレイステーションの発売直前から週刊ファミコン通信(現・週刊ファミ通)で働いていたビンテージ編集者。家族旅行で行った常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)でプレイした、アップライト筐体で、レバーではなくボタンで移動するタイプの『スペースインベーダー』をもう一度プレイしたい。

『スペースインベーダー』をはじめ、アーケードゲームが隆盛したゲーム黎明期

――初めに家庭用機としてファミリーコンピュータが登場する以前のゲーム事情などについて教えてください。基本的にアーケードやホームコンピュータ機がメインだったような感じのイメージです。

ででお自分が5歳のときにはすでに『スペースインベーダー』ブーム(1978年~)が来ていましたが、それ以前はモニターを使用しない“エレメカ”(※)が主流だったと記憶しています。物理的に地形が動くドライブゲームやガンシューティングっぽいもの、あとピンボールとかですかね。

※エレメカ:エレクトロメカニカルマシンの略。ビデオゲーム登場以前から活躍するシンプルながらも楽しめるゲーム。定義は曖昧だが、本稿においてはモグラ叩きのようにモニターをメインで使わないゲームのことを指す。

 当時の子どもがビデオゲームを遊ぶ場は、駄菓子屋や小さな個人経営のゲーセンがメインでした。ブームのときは『スペースインベーダー』しか置いていないお店も多かったようで、“ゲームセンター”ではなく“インベーダーハウス”とか呼ばれていたりしたそうです。

 自分が通うころには『ギャラクシアン』や『パックマン』などいろいろなゲームが稼動していましたが、当時の名残でゲーセンのことを「インベーダーハウス」と呼ぶ大人は少なくなかったと思います。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
画像はハムスターよりNintendo Switch向けに配信中の『アーケードアーカイブス パックマン』のもの。

――たしかに、どんなにゲームが進化しても我が家でゲームはピコピコ扱いされていました(笑)。

みさいル小野初期のアーケードはいわゆる“エレメカ”と呼ばれるものが多く、百貨店の屋上とかボウリング場やバッティングセンターの受付近くに置かれていました。

 そういった場所はもともと子ども向けの遊具などが置かれていた場所で、徐々にパチンコやルーレットなどをモチーフにしたメダルゲームなどが増えていきます。

 テレビ画面を使用する作品はアタリ『ポン』が有名ですが(最初のアーケードゲームは『コンピュータースペース』らしいですが)、私の地元(茨城)では見たことがないです。

 『ポン』をもとにした家庭用のハードは国内でもさまざまなタイプが発売されていまして、私が初めて触ったテレビゲームは、おそらくトミーの『TV FUN 501』ではないかと記憶しています。

 白っぽい筐体にパドルコントローラーが付いていたので、たぶんこれかと。テレビ画面を使ったテニス(卓球?)のようなゲームで、当時は夢中でプレイしました。

 つぎに1976年(?)アタリ『ブレイクアウト』(日本では『ブロック崩し』と呼ばれていました)が流行し、1978年タイトー『スペースインベーダー』の登場でテレビゲーム自体が大流行します。

 ででおも言っていますが、流行しすぎて、喫茶店のテーブルはゲーム筐体になるし、ゲームセンターのようなものがあちこちにできたのもこの影響です。

 近所の駐車場にプレハブ小屋が出現して大雑把なゲーセン(インベーダーハウスという名称が多かったように思います)ができたりしていました。

――噂に聞いたことはありますが、やはりこの時代に『スペースインベーダー』は外せないわけですね。

みさいル小野そうですね。前述のボウリング場やバッティングセンターの待合所的なスペースがゲーム筐体だらけで、ゲーム目的で訪れる人が多かったように思います。

 このころはゲームの著作権が曖昧というか認められていないというか、現在は大手のゲームメーカーも類似品を作っていました。

 『スペースインベーダー』のブームが落ち着くと、各社からさまざまなアーケードゲームがリリースされ、(個人的な印象では)1990年代ごろまでアーケードゲームがゲーム界のトップに君臨していたように思います。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
『スペースインベーダー』の筐体。

小話:エレメカ

 両氏の話から出てきた“エレメカ”だが、じつは現在も続く大手ゲームメーカーが製造していたことはご存知だろうか。

 後にナムコ(現・バンダイナムコアミューズメント)となる中村製作所をはじめ、太東貿易(こちらも後にタイトーへ)、カプコン、セガ、レジャック(こちらも後にコナミからコナミアミューズメントへ)などがエレメカを製造していた。

 1955年、百貨店屋上に設置した2台の木馬から、ナムコは誕生しました。

 その後、東京オリンピックや大阪万博に沸いた60年代、70年代と、三越屋上への「ロードウェイライド」設置をはじめ、さまざまな乗り物やゲームなど、時代に先駆けた様々な「遊び」を通して、人びとの夢の創造に邁進してきました。

出典:ナムコ ヒストリー

平成世代には聞き覚えのないゲームハードの話を聞いてみる

――オデッセイやホーム・ポンをはじめ、チャンネルFやAtari2600、VC4000など、いわゆる創成期のゲームハードは私のような平成世代では聞き覚えのないものが多いです。そんな1970年代~1980年代に登場したハードに対する思い出や印象があれば、お聞かせてください。

ででおファミコン以前は前述の通り駄菓子屋がホームでしたが、おもちゃ屋さんに行けばスーパーカセットビジョンやぴゅう太、光速船(光速船はいま見てもすごい!)といったゲーム機がズラリと並んでいました。だいたい試遊できる状態だったので、片っ端から遊んでいました。

 とはいえメインのホームは駄菓子屋ゲーセンだったので、おもちゃ屋さんは“お小遣いを使わなくても遊べる場”でした。なので、アーケード版のゲームは“本物”、家庭用ゲームは“なんちゃってゲーム機”という感覚だったりしたのですが……ファミコンを見たときの衝撃はすごかったですね。

 アーケード版にほぼほぼ近い出来栄え(※)の『ドンキーコング』が、おもちゃ屋さんのテレビで動いていたわけですから。しかもゲーム&ウオッチ版『ドンキーコング』で慣れ親しんだ十字ボタンで遊べるなんて!

※ステージが減っていたり横画面だったりと忠実な移植というわけではないが、当時の子どものででおにとっては十分すぎる移植度だったとのこと。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
画像はハムスターよりNintendo Switch向けに配信中の『アーケードアーカイブス ドンキーコング』のもの。

 脱線してきたのでファミコン以前の話に戻ります。家庭用ゲーム機の黎明期に買ってもらえるご家庭は少なかったと思いますが、自分は親戚の家でマックスマシーンを遊ばせてもらいました。マックスマシーンはホビーPCですが、ソフトがそこそこ充実していてゲーム機寄りのハードです。

 あと友だちの家では、任天堂のブロック崩しを遊びました。文字通りブロック崩しのゲームしか遊べない(一応、6個のステージを選択できる)ものでしたが、“家のテレビを使ってゲームをする”こと自体が新鮮で、夢中になってプレイしました。

――テレビを使ってゲームをすること自体が新鮮なんですね……! 考えてみれば、子どものころからテレビを使ってゲームをすることが当たり前の世代には衝撃を受ける事実です。

みさいル小野さきほども述べましたが、私が初めて触ったのはおそらく、父が買ってきてくれた『TV FUN 501』ではないかと(たぶん父自身が遊びたかったのではないかと予想しています)。

 ただ、内蔵された1種類(微妙に違うバリエーションの収録もありましたが)しか遊べず、CPU戦や対人戦ができるにしても、さすがに数ヵ月で飽きてしまいます。

 とくに長く遊んだ印象があるのは、つぎに買ってもらった任天堂『レーシング112』です。幼少期からのクルマ好きで、これは永遠に遊ぶ勢いでした。

 アクセルやブレーキはなく、シフトレバーでハイ(高速)かロー(低速)に切り換えながら速度を調整して、ライバル車を抜くだけのゲームです。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
ページ左に載っている大きなハンドルがついたゲーム機が『レーシング112』。

 それでも当時は画期的と言うか、レースゲーム自体少なかったので、すごく楽しかったです。なぜかシフトレバーの黒い部分が外れて、失くしてしまいました(ゲームは遊べました)。本体は実家にまだ残っているはずです。

 ちなみにこの当時のテレビにはアンテナ以外の入力端子がなく、ゲーム機に付属するアンテナボックスというものを使って接続します。テレビのアンテナケーブルをこの箱に挿して、一方をテレビのアンテナ端子へ、もう一方をゲーム機につなぎます。

 ファミコンまでは同梱されていたのですが、ビデオ端子付きのテレビが普及すると、同梱されずに別売りされたりしていました。たしかスーファミ用もあったような気がします。

小話:駄菓子屋・ゲーセン。当たり前だけど、いまとは違うゲームを遊ぶ環境

 昔……といっても、それこそ約40年ほど前にはなるが、当時はわんぱくな子どもたちが多くゲーム事情もいまとは少し違っていた。いまでこそゲームは家で遊ぶものという感覚が強いが、当時のゲームはまだ外で遊ぶものという感覚が強かったのではないだろうか。

 それこそ多くの子どもたちは少ないお小遣いを手に、近所のたまり場的な駄菓子屋へ行ったり、少し怖い雰囲気が漂うゲームセンターへ行ったり。

 少々、記事で扱う時代より進んでしまうが、90年代のゲーム文化を絶妙に描くマンガ『ハイスコアガール』を読んでみると、なんとなしにそんな情景が想像できる(あのころには家庭用機も充実していたと思うが)。

 80年代はファミリーコンピュータをきっかけに多くの家庭にゲーム機が普及した側面もあるだろうが、もちろん買ってもらえた家、買ってもらえない家はあるだろうし、このゲームは特別なものであるという感覚は当分続いたのではないだろうか。

 と、平成生まれの筆者は考えてみる。

携帯ゲーム機の登場はいつ? 初めて登場したときの印象や当時のこと

――ゲーム創成期といえば、大型の家庭用ゲーム機が多そうなイメージですが、わりと早い段階で携帯ゲーム機も登場していたと聞いたことがあります。1980年にはすでにゲーム&ウオッチも登場しますが、携帯ゲーム機が登場した際の印象や当時について、教えてくれませんか?

ででお“携帯型ゲーム機”という言われかたをするようになったのはゲームボーイ、ゲームギア、LINXなどが登場してからですが、ファミコン以前ではやはりLSIゲーム(※)とゲーム&ウオッチ(※)が手ごろに遊べる存在でした。

※LSIゲーム:ものすごく簡単に説明するならば、最初から内蔵されたソフトを遊べる小型のゲーム機。後述のゲーム&ウオッチほど小さくはない。

※ゲーム&ウオッチ:1980年に発売された任天堂初の携帯型液晶ゲーム機。ひとつの本体にひとつのゲームが搭載され、手に収まる程度の大きさが特徴。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
画像は2020年11月13日に発売されたゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ。

 LSIゲームとは違いますが、個人的に思い入れが深いのは『ゲームロボット九』という9個のボタンを使った玩具。豆電球で光る色違いのボタンが9個あるだけなのに、記憶力を鍛える遊びやインベーダー風の遊びなどが楽しめて、工夫が凝らされていたと思います。

 LSIゲームは乾電池で動くものもありましたが、基本的には汎用のアダプターを使って室内で遊ぶのが主流でした。とくに流行っていたのは『スクランブル』と『FL機動戦士ガンダム』ですね。

 ゲーム&ウオッチで自分が初めてプレイしたのは『タートルブリッジ』でしたが、『ドンキーコング』の人気はものすごかったですね。

 当時の友だちが「2画面のゲーム&ウオッチ、うちにあるよ」と言うので期待しつつ遊びにいったら『オイルパニック』でずっこけた思い出(でも『オイルパニック』もこれはこれでおもしろかった)。

 任天堂以外のメーカーもさまざまな携帯型液晶(※)ゲーム機を出していて、液晶の層が2枚になっているものや太陽電池で動くものなど、さまざまなタイトルが出ていました。

 ほかにはゲーム&ウオッチならぬ“ゲーム電卓”と呼ばれるものもあって、電卓のおまけにゲーム機能が搭載されたものもあった。友だちが持っていたボクシングのやつをよく遊んでいた記憶があります。

※携帯型液晶:ここでいう携帯型液晶とは、現在のような液晶モニターではなく、セグメント表示方式のことをいう。詳しくはSHARPさんのページをご覧いただきたい。

――ゲーム機としてもおもしろそうですが、当時作られた機器という視点で見てもおもしろそうですよね。

みさいル小野携帯ゲーム機の概念が難しいですが、最初に遊んだのは1978年(?)トミー『ブラックレーサー』です。自車はプラスチックの板にプリントされていて、ハンドル操作と連動して左右に動きます。

 その下に、帯状になったフィルムのような薄いシートに敵車がプリントされていて、これがモーターを動力にして動きます。規定時間内に、敵車にぶつからないようにどれだけの距離を走れるか、を競うゲームです。

 ぶつかると赤いランプが点滅して、しばらく走れません。家庭用エレメカという印象の、ゲーム性の高い玩具というイメージでしょうか。

 つぎに、ほぼ同じ仕組みで、アーケードゲーム『ギャラクシーウォーズ』を再現した1979年トミー『レッドミサイル』を買ってもらい、これも無限に遊んでいました。

 『ギャラクシーウォーズ』はマンガ『ゲームセンターあらし』で知ったのですが、100円は小学生には大金で、ゲーセンではプレイできないけど遊びたかったタイトルです。

 まだまだ携帯ゲームというイメージではないのですが、つぎに流行したのがLSIゲームと呼ばれるものです。LSI(集積回路)が使われていますが、画面ではなくLEDのON、OFFで状況を説明する感じです。何を言っているのかわかりにくいですね。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
LSIとは違うカセット方式のゲーム機が出始めたのもわりと早かったようだ。いまではカセット方式のほうが一般的ではある。

 僕の初LSIゲームは、ブーム真っただ中の『スペースインベーダー』を模した『ミサイルベーダー』でした。

 表示はゲーム&ウオッチと似ていて、各4箇所あるUFOやインベーダーが表示される場所の後ろにLEDが仕込まれていて、現在位置をLEDの光で表現する感じです。

 最下段に自機が移動できる場所があり、ボタンで左右に移動させます。こちらも現在位置をLEDで表現しています。文章で書いても、やっぱりわかりにくいですね。

 『ミサイルベーダー』は攻略法を編み出しまして、左端で最後までUFOを打ち続けると最高得点が出ます(ゲームは時間制です)。パーフェクトゲームです。記録は残りませんが。

 また、006Pという特殊な電池(四角い9Vのやつ)を使用するため、電池はすぐに切れるけど頻繁には買ってもらえず、プレイできない期間が長くなる問題がありました。

 LEDの代わりにFL管(※)を使ったものとか、当時はいろいろありました。アーケードゲームをイメージするものや、スポーツをモチーフにしたものなど、種類もかなり豊富で、いまにしてみると「売れていたんだろうな」と思います。

※FL管:蛍光表示管のこと。一時期はゲーム機にも採用されていたが、後に液晶ディスプレイに取って代わる。現在でも特定の分野では使用され続けており、日本で生まれた技術でもある。

 1980年になると、ついにゲーム&ウオッチが発売されました。最初にリリースされた『BALL』を同級生が持っていて、そのゲーム性や本体のサイズ感など、何もかもが魅力的でした。

 私は第2弾の『FIRE』を買ってもらったのですが、これまた永久にプレイし続ける勢いで、楽しくてしょうがない。使用する電池はさらに高価なボタン電池でしたが、思った以上に長持ちしてくれて助かりました。電池の進化にも感謝しています。

 液晶画面とは言っても、ゲームボーイのように自由に表示できるわけではなく、仕組みとしては電卓の表示と同じです。表示される場所や形が固定でON、OFFのみで表現します。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
ゲームボーイ。この後に出てくるゲームボーイポケットやゲームボーイカラーと比べると、かなりサイズが大きかった思い出がある。

 ただ、ゲーム&ウオッチの進化はめざましく、2画面のマルチスクリーンを採用した『ドンキーコング』で採用された十字ボタンは、後のファミコンでも採用された最高の入力デバイスだと思います。

 私が追いかけていたのはこの『ドンキーコング』までですが、その後もいろいろ形を変えていって、マイクロVS.システム(※)ではケーブルでつながったコントローラーが内蔵されていて、対戦も可能になっています。

 いい大人になってから手に入れたゲーム&ウオッチ『ドンキーコング3』を触って、そのすごさに驚きました。当時はすでにファミコンが発売されていたため、そちらに夢中で存在すら知りませんでしたが。

※マイクロVS.システム:コード巻き取り式のコントローラーが付き、ふたり対戦に対応したゲーム&ウオッチ。おもなタイトルとして『ボクシング』や『ドンキーコング3』がある。

小話:じつは最近のゲーマーにも意外となじみ深いゲーム&ウオッチ

 ゲーム&ウオッチは1980年発売……そのように聞くと、2023年現在からは約40年前なので、かなり前のことに思える。実際、その世代ではないゲーマーでゲーム&ウオッチを遊んだことがあるプレイヤーは珍しい部類だろう。

 だが、このゲーム&ウオッチの存在を近くに感じられるものは、意外にも身近に存在している。それが『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズに登場するMr.ゲーム&ウォッチだ。

 じつは、ゲーム&ウオッチのネタがふんだんに盛り込まれたファイターで、その元ネタを探ってみるのもおもしろいかもしれない。

 活躍自体は『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズだけにとどまらず、じつは『メイド イン ワリオ』や『リズム天国』、『スーパーマリオ』シリーズにも似たシルエットで時折登場するのだが、もちろん同一人物なのかは不明である。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
画像は『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』より。最上段ヨッシーの列、上から3番目にMr.ゲーム&ウォッチがいる。

 こう書いてみると、最近のゲーマーにもなじみ深い存在として認識はされていると思われるゲーム&ウオッチ。余談だが、2020年には『スーパーマリオブラザーズ』35周年を記念した『ゲーム&ウオッチ スーパーマリオブラザーズ』が発売されたこともあった。

当時の流行を知る。70年代~80年代はアーケードが覇権を握っていた

――ジャンルという言葉でゲームが括られる前かもしれませんが、当時はどのようなゲームが主流だったのでしょうか。基本的には直感的に楽しめるようなものが流行していたイメージです。

ででおあくまで自分の感覚ですが、ビデオゲームやテレビゲームが突然世の中に現れたというより、『チクタクバンバン』や『野球盤』、『アスレチックゲーム』といったアナログゲームの延長上としてLSIゲームやゲーム&ウオッチなどを遊んでいて、気が付けばテレビゲームの沼にどっぷり浸かっていたという感じです。

 テレビゲーム内でのジャンルの話ということであれば、大ブームを起こした『スペースインベーダー』の影響でシューティングゲーム、そして『パックマン』の影響を受けたドットイートアクション、『ドンキーコング』の影響を受けたであろうゴールを目指すタイプの固定画面アクション(自分は何かの影響で“アスレチックゲーム”と呼んだりしていました)の3つが強かったと思います。

 ブロック崩しもジャンルのひとつだと思うけど、自分の時代では任天堂の家庭用ブロック崩しくらいしか出会いませんでした。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
ブロック崩しとひと口に言っても、さまざまな種類があったようだ。

みさいル小野ほとんどが直感的に遊べるミニゲームでしょうか。ルールは単純で、同じ作業をくり返すイメージです。アーケードゲームをパクった感じとか、有名なスポーツを再現したものなら、遊びかたはわかっていますから、マニュアルを見なくてもプレイ可能でした。そういうゲームが多かったと思います。

――最後に1970年代~1980年代のゲームへの思い出などをご自由にお話しいただければと思います。

ででお第2次ベビーブーム世代なので1970年代は本当におぼろげな記憶しかないけど、1980年代前半はそこらじゅうにアーケードゲームがありました。

 ゲーセンや駄菓子屋はもちろん、小学校の向かいの文房具屋や、中学校の裏手にある室内釣り堀にもアップライト型の筐体(いわゆる駄菓子屋筐体)が置いてあったなぁ。

 1980年代中盤からは、『マイコンBASICマガジン』(通称ベーマガ)(※)という月刊誌でゲーム情報を取り入れるようになりました。

 小学生高学年あたりから、「これから世に出る名作ゲームをできるだけたくさん遊ぼう」という意識が芽生えてきたんですよね。『スペースインベーダー』ブームに乗れなかったのが悔しかったのかもしれません(年齢的に仕方ないことは承知しつつも……)。

※『マイコンBASICマガジン』:電波新聞社が1982年~2003年に刊行していたPC関連雑誌。じつはゲーム情報誌としての側面も強かった。

 1970年代~1980年代のハードの項目で答えたぴゅう太やマックスマシーンなどのハードはプログラミングもできる、いわゆるホビーパソコンという位置付け。

 「自分でゲームを作ってみたい、ゲーセンにはないADVやRPGなどのゲームも遊びたい」という理由からPCも欲しかったけど、親の説得方法が思いつきませんでしたね……。

 1980年代後半になってから兄がなんとかファミリーベーシックを買ってもらっていましたが。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
筆者より年上なので、ぴゅう太“さん”と呼ばざるを得ない。

 ちなみに黎明期のPCゲームについては友だちの家で遊んだ(PCがなんなのか覚えてないが)アドベンチャーゲーム(こちらもタイトルまで覚えていないが『ミステリーハウス』か何かだと思う)が初だったと思う……。ちょっと朧気な記憶なんですが(笑)。

みさいル小野1970年代から1980年代はやはり、アーケードゲームが頂点でした。が、1プレイ100円だとそんなに遊べないし、うまくもならないしで、見ていることが多かったですね。

 誰かがプレイしているところとか、デモ画面とか。買ってしまえば遊び放題なので、所有していた電子ゲームなどはかなりうまくなっていました。『ミサイルベーダー』のパーフェクトプレイとか(笑)。

 それにファミコン以前のゲームって、ポーズがないんですよね。で、調子がいいときに限って、必ず鼻がかゆくなる。ファミコンでいちばん感動したのが一時停止です。それがあることによって、鼻がかゆくなることもなくなるのですが。

【昔のゲーム事情を聞いてみた】ファミコンが発売される前の1970年代~1980年初頭ってどんな感じだったの?
ファミリーコンピュータ。数々の名作が生まれたことは語るまでもない。

自らが体験したことのない時代の話を聞くこと

 1970年代~1980年代のことを知るふたりにお話を聞いてみたが、いかがだっただろうか。今回は皆さんがよく知る1983年に登場したファミリーコンピュータにはあえて焦点を当てず、それ以前の部分にフォーカスしてみた。

 まだまだどうなるかわからないけど、おもしろいものを作ってやるみたいな空気に満ち溢れた時代だったということは話の端々から感じられた。

 若い読者の皆さんはぜひ、本稿で知ったことをきっかけに「これ知っていますか?」と目上の人にあれこれと聞いてみたり、当時のゲーム事情を調べてみたりするのもおすすめだ。

 当時の思い出を色濃く残す皆さんは、自身の体験を思い出すもよし、こんなことがあったと誰かと語らってみるのもよしではないだろうか。

 このような過去の情報は自ら求めない限り得てして見つからないものであり、読んでみると意外とおもしろいこともある。読んでくれた皆さんが、少しでも楽しいと思ってくれたことを願う。

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