「ゲームの歴史」を読みました / PS1に任天堂のDNAは宿っているのか?

岩崎夏海氏・稲田豊史氏共著の「ゲームの歴史」1-3巻を読みました。

この本は「ゲームの歴史」を謳っていますが、歴史教科書的に事実の羅列で済ますのではなく、ある程度出来事とそのリアクションを掘り下げ、そこから自身の主張を搦めて一つの大きな物語を紡ぐ読み物になっています。いうなれば私の書いている記事の、もっともっと先をいった進化版のようなものです(プロの作家さんは本当に凄まじいですね)。

その上でその絡めた主張というのもなかなか面白く、「ゲームの根本はハッキングである」という主張には目からうろこでした。なるほど、本来の用途とは別方向のアプローチをしかけることがそもそものゲーム(=ハッキング)なのだ、という主張はゲームの歴史を覆って面白い物語に仕立てるのに相応しい、とても素晴らしいアイデアだと思います。(2023/2/9追記 そもそもゲームはコンピューターの本来の用途の内に入っておりハッキングではないという指摘がありました。大変申し訳ありません。仔細はこちらにてご覧下さい)同時に1巻の最初に「これは岩崎・稲田史観によって書かれています」と明言しているのはとても真摯だと思います。

読み進めて感慨にふけってしまいました。ようやくこういった、ナチュラルにゲームを遊んだ作家が、自身の体験を交えてゲームの歴史を記述する時代になったんだな、と。その、私が集めていた90年代の業界本は、とてもゲームを日常的に遊んでいるとはいえない人たちが書いたものばかりでしたからね。

私が一番頷いてしまったのは2巻の言葉です。

 ただ、ここでいう「遊ぶ」の意味は、本書をここまで読まれた皆さんには説明不要ですが、「新しい遊び方を探しながら、遊ぶ」ということです。その中にはもちろんコンピュータゲームも含まれますが、それ以外の遊びでもかまいません。とにかく、自分で遊び方を考え、見つけることが重要なのです。

 なので、第一巻第一章でも述べましたが、日本のある自治体が子どもたちのゲームのプレイ時間に制限を施しているのは、未来の田尻智をつぶすにも等しい愚行なのです。

ゲームの歴史 2巻 P27

試行錯誤し、新しい遊びを見つけることにゲームはとても素晴らしい媒体でしょう。本当にこの記述は嬉しかったです。


さて、そんな「ゲームの歴史」なんですが、一つ問題点があります。いえ、これは「ゲームの歴史」という本の問題ではなく、ゲームというものを歴史学的にアプローチしたときにどうしても生じてしまう問題なのですが。

「そつなく、ゲーム史に起きた出来事を広くかいつまんで物語化しているため、ディープに踏み込んだマニアから見ると違和感が生じる」というものです。

これは致し方ない面が強いです。

なぜならゲームは非常に長時間のプレイをこなしてからようやく理解が及ぶのに対して、あまりに影響力があるゲームが多すぎるため、人がその全てを理解するには無理があるからです。
日本のRPG史を書きたい、と思ってもその書いた人がドラクエとFFしかやったことがなければ、そのRPG史はディープなRPGマニアからしたら(女神転生にMotherにヘラクレスの栄光にゾイドにファンタシースターにコズミックファンタジーをやらないと駄目だと考えているような人のことです。……あ、最後のはもしかしたらいらないかもしれません)かなり薄っぺらい内容になってしまうでしょう。「日本のRPG史」というかなり絞った内容でもよほどのマニアしか書けないでしょうが、よりにもよって「ゲームの歴史」です。全編に渡って深く突っ込んでかくのは常人には無理でしょう。

私だってちょっと詳しいのはあくまで80-90年代の流通関係と、家庭用ゲーム機くらいです。いわゆるホビーパソコン系統は全く無知ですし、MS-DOSから生まれた洋ゲーFPSには触れていませんし、ゲーセンに入り浸るようになったのは音ゲーブームの手前くらいからですし、美少女ゲームにはまったく詳しくありません(そういうことにしておいてください)

だからこそ広くそつなく色んなところから物語を抽出したこの本を素晴らしいと思えるわけです。私が知らないこともたくさん書かれていましたし、きちんとMITのコンピュータの活用から始まり、ウィザードリィとウルティマからドラクエが誕生したことを抑え、アーケードゲームが興隆しファミコンが爆発した流れをきちんとなぞってますしね。
もし物語性を排除した、純粋な歴史書が欲しいのなら「デジタルゲーム産業史」か「それは『ポン』から始まった」のほうが的確ではあるとは思います。

この本のとても素晴らしいところをもう一つ挙げると、上記の弱点をあえて見せつけていることです。

 もし重大な矛盾や食い違いがあったら、それを直したり埋めたりするのは、読者のみなさんにお願いしたいとすら考えています。
 これは、本文でも何度か言及しているオープンソースの発想ですね。そのやり方のほうが、議論が深まり、絶対に良いものが出来上がると考えています。

ゲームの歴史 3巻 P220

このスタイルに反せず、著者の一人岩崎夏海氏は実際に間違いを指摘されたのち、重版で訂正することを明言しています。

仔細は、「ファミコンのネタ!!」さんにてご覧になったほうが早いですね。


この態度は本当に素晴らしいです。私も見習いたいと思いました。

良く切れる日本刀は何度も何度も叩かれてその強度を増していく、といいます。何度も指摘されブラッシュアップされていった先に、より素晴らしい作品が出来上がることなのでしょう。


というわけで遠慮なく全力をもって叩いていきましょう!!!!!! 


ようやく本題です。実はゲームの歴史2巻にこのような記述がありまして。


 おそらくSCEは、先代プレイステーションが成功した理由をちゃんと理解していなかったのだと思います。実は先代プレイステーションには、ライバルである任天堂のDNAが宿っていました。第11章でお話ししたように、プレイステーションの原型は、もともとはソニーと任天堂が共同開発していたものでした。そこでゲーム業界の新参者だったソニーはおそらく、ゲームというものを熟知する任天堂から「ゲームの本質はこういうものだ」という細かいレクチャーを受けていたはずです。

 例えば、任天堂がソニーから離れるきっかけとなった「CD-ROMは読み込みに時間がかかる」という欠点。これは、プレイステーション発売当時のソニーも、ゲーム機というものを発売するのが初めてであるにもかかわらず、ちゃんと理解していました。実は、その証拠があるのです。それはプレイステーションのローンチタイトルであるナムコの『リッジレーサー』を始めるときに表示される、読み込み時間中の「演出」です。ここでは、単に「Now Loading」という文字が表示されているだけではなく、その待ち時間中にナムコ往年のアーケードゲーム『ギャラクシアン』をプレイできました。これにより、プレイヤーは読み込み時間が苦痛ではなくなったのです。

 ただリッジレーサーはあくまでもナムコのゲームなので、このアイデアはソニーではなく、ナムコが考えた可能性もあります。だとしても、ソニーからナムコへ「ロード時間の長さが気にならなくなる演出をしてほしい」という要望を出したことがきっかけ──と考えるのが自然ではないでしょうか。

 そんなふうに、初代のプレイステーションには、そこかしこに「任天堂のレクチャーの残り香」のようなものが漂っていました。

 しかし、SCEはその後任天堂と袂を分かちました。そのため、当然ながらプレイステーション2の開発時に、初代の時のようなレクチャーは受けられません。結果、プレイステーション2は良くも悪くも「純粋なソニー製品」になりました。

 当時のソニーは、最先端技術をもって最先端家電を世に出す世界のトップランナー。そのためプレイステーション2も、そういう思想のもとに設計されました。

 まずは何よりも、高い技術力がアピールされました。最先端チップを積み、ものすごい処理速度を備え、図抜けて美麗なグラフィックを表現できる。そんなハイスペック主義をコンセプトとしたハードです。それは、「枯れた技術の水平思考」を基本理念とする任天堂とは、もはや真逆の考えともいえるでしょう。

ゲームの歴史 2巻 P160-161

上記の記述を読んで私は嬉しくなりました。「プロの作家さんでも、よくある間違いに陥ってしまうんだなぁ」と。意地の悪い話ですね。

「初代プレイステーションには任天堂のDNAが入っている」……というのは、岩崎氏、稲田氏のオリジナルの主張というわけではありません。結構ネットの海を探すとちょこちょこ見つかる言説です。これは元々、「スーパーファミコン拡張用CD-ROM機器」がプレイステーションと命名されていたことを元とする主張ですね(ややこしいので元の拡張用のプレイステーションはこれからプレイステーション0と表記します。)。

この物語はとても魅惑的です。任天堂の精神がライバルに伝わり、それが任天堂を打ち倒す原動力になった、というのはなんと人を惹きつけるのでしょう。

しかし一つずつ確認していくと、とてもこの物語は成り立ちそうにないのです。これからそれを解説していきましょう。


実はプレイステーション0と、プレイステーション1は全くの別物であることが生みの親である久夛良木氏が断言してしまっているのです。


なおPlayStationが誕生したのは,ソニーが開発に参加していたスーパーファミコン用CD-ROMアダプタの計画が1991年に突如キャンセルされたことに端を発している……と語られることが多いが,久夛良木氏によるとまったく関係ないという。

https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20180719035/

プレイステーション0がそもそもどういったハードだったのか? というのは異様に資料が少ないのですが、そもそも1990年に開発をスタートさせたハードです。これがそのまま1994年のハードに繋がるわけはありません。いったん全部破棄し、全くの新規から作り直されたのがプレイステーション1なんです。

証言。「革命」はこうしてはじまった という本にこのような記述があります。


ただこの「CDに編集済みの大きなデータを収納して、それをコンピュータで再生する」というCD-iのコンセプトは、その後のレーザーディスクを利用したレーザーアクティブなどと同様に、スーパーファミコンCD-ROMアダプターに引き継がれたといっても良いと思われます。
(中略)
1991年の6月に任天堂との話がご破算になったその後、久夛良木さんが徳中さんに提出した「リアルタイムで3次元のグラフィックスを生成するという構想」は、このスーパーファミコンCD-ROMアダプターのコンセプトから更に一歩進んだものでした。

証言。「革命」はこうしてはじまった P88

つまり元々のコンセプトが、プレイステーション0と、プレイステーション1で違うのです。プレイステーション0にはまだ、「リアルタイムで3Dグラフィックを生成して動かす」という発想には至っていませんでした。1990年時点の家庭用ゲーム機に使えるCPUのパワーでは、とてもそこまでの理想を実現はできなかったのです。

CPUやビデオチップを一から策定しなおし、LSIロジック社のCPUを採用することを久夛良木氏が決め、デザインはソニー内の後藤貞祐氏が作りました。どこにも任天堂のDNAが絡んでいません。プレイステーション1に、任天堂要素はないんです。

ここまでで話を完了してもいいのですが、せっかくですのでこのまま日本刀を打ち続けましょう。ナムコのロード時間の話です。

 ただリッジレーサーはあくまでもナムコのゲームなので、このアイデアはソニーではなく、ナムコが考えた可能性も有ります、だとしても、ソニーからナムコへ「ロード時間の長さが気にならなくなる演出をしてほしい」という要望を出したことがきっかけ──と考えるのが自然ではないでしょうか。

この「ロード時間中に遊べるミニゲーム」は、間違いなくナムコ発祥です。なぜならナムコが特許を持っているからです。特開平8-115145がそれにあたります。


ではソニー側が「ロード時間の長さが気にならなくなる演出をしてほしい」と要望した流れ、というのはありえるでしょうか。それもまずありえないです。なぜなら──ナムコはCD-ROM機の開発の経験があるからです。

拙記事「ナムコvs任天堂」にも書きましたが、かつてナムコはNC-1という自社ハードを開発していました。その一環でCD-ROMにも手を伸ばしています。

NC1プロジェクトの開発目標は、8ビットのファミコンを上回る高性能16ビット機。ソフトの供給媒体は当初はファミコンと同じROMカセットを考えていたが、途中からCD-ROMへと方向転換を図り……

ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 P179

このNC-1はナムコのファミコンライセンスが切れる1989年にはほとんど完成していたとされています。そこから延期し、CD-ROM機へと変貌を遂げたのがソニーがプレイステーション1をつくる前の話です。

視点をもう少し広げてみると、1991年を過ぎた頃にはもうすでにPCエンジンがCD-ROM2を普及させてきた頃ですし、メガCDも登場します。この頃ですと開発会社もだいぶCD-ROMに触れてきていますので「CD-ROMが遅い」というのは周知の事実になってきます。メガCD自体も「CD-ROMが遅いからなんとかしなきゃ」という独自の高速化の仕組みが組み込まれています。ハドソンが全力でロード時間を削減するための工夫を積み重ねていた頃です。

ですのでソニーがナムコに対して「ロード時間の長さが気にならなくなる演出をしてほしい」と言ったとしても、ナムコ側からしてみたら「わかってるよそんなこと!」で終わってしまう話なんですよね。


そしてその後の記述です。

 まずは何よりも、高い技術力がアピールされました。最先端チップを積み、ものすごい処理速度を備え、図抜けて美麗なグラフィックを表現できる。そんなハイスペック主義をコンセプトとしたハードです。それは、「枯れた技術の水平思考」を基本理念とする任天堂とは、もはや真逆の考えともいえるでしょう。

ここも本当によくある間違いで嬉しくなります。インターネット記事によくある間違い、ですね。

そもそも「枯れた技術の水平思考」は横井軍平氏の理念であって、任天堂の理念ではないんです。

現にファミコンの開発に関して横井軍平氏は関わっておらず、当時としてはファミコンは飛び抜けたハイスペックで、それを作る工場もリコーの最先端工場です。

上村:当時のリコーさんには
最新の設備を持つ半導体工場があったんですが、
稼働率が上がらずにお困りだったようなんです。
そこで「工場の使い道がないか1回見に来てほしい」と言われて。
その工場は当時、1割の稼働率しかなかったそうです。

横井軍平氏が「枯れた技術の水平思考」を持ち込んだ任天堂ハードはゲーム&ウオッチであり、ゲームボーイであり、バーチャルボーイなんです(ただしゲームボーイは液晶くらいしか枯れてないような??)。据え置きハードは「ハイパワー・最先端」でゲームキューブまで突っ切っています。

これはゲームキューブの発売時の岩田社長(当時は取締役経営企画室室長)のインタビューにも現れています。

[岩田] 8ビットのゲーム機をつくっていたころは枯れた技術を使っていたんですが、気づいてみたら「最新鋭のビデオチップもびっくり!」みたいなものを自分たちがつくっていて、コンピュータ分野のリーディングエッジになってしまいました。このため、発売当初には昔のように簡単には部品も揃わないんです。本当はもっとつくれたらいいですけどね。

上記の記事ではファミコンのことを「枯れた技術」と表現していますが、これはゲームキューブとの比較ですね。このインタビュー内でも1T-SRAMを解説していたり、「CPU10倍、グラフィック100倍」を実行性能で達成した話など、スペックと最先端技術を誇っています。任天堂もここまでは十分ハイスペック主義だったんですよね。ですがそれではソニー・マイクロソフトに勝てないことを理解し、そしてスペック史上主義の弱点に気がついてWii-DSという路線に舵を切ったわけです。


……補足となりますが、もし「任天堂がソニーにレクチャーをした」というのなら、使えそうなソースを実は私は持っています。
2011年に発行された「ゲーム産業白書Decade」(メディアクリエイト)という本に、元SCE社長丸山茂雄氏のインタビューが載っています。
そこにはこのような記述があります。

最初の試作ソフトは「フォルテッサ」というシューティングゲームのもとになるような作品です。その後、いくつかソフトを試作したのですが、社内、社外からの評判は芳しいものではありませんでした。見かねた任天堂さんから叱咤激励を受けたほどです。この悔しさが後の糧というか、バネになったと思います。

ゲーム産業白書Decade P15

この「叱咤激励」がどのようなレベルであったかはわかりかねますが、あまり「手取り足取りの細かなレクチャー」ではないように見えます。
また、こんなソースもあります。

山内との交渉を終え、今日から東京へ戻る新幹線の中で、久夛良木は出井(注:元ソニー社長の出井伸之氏のこと。この時点では広報担当取締役)にこうつぶやいた。
「山内さんが話してくださったことを、全部書き留めておこう。ソニーは、その逆をやって、まったく新しいゲーム機を作れば良いじゃないか」
久夛良木たちは、共同開発において任天堂側から、さまざまな「ゲームビジネスのキモ」を耳にしていた。

○パートナーであるゲームメーカーを大切にすること。
○ゲームソフトの流通をコントロールし、市場を常に活発なものに保つこと。
○魅力的なゲーム機を作ること。

任天堂がこれらのノウハウを伝えたのは、ソニーを重要なパートナー兼部品メーカーとして、スムーズにゲームビジネスを展開するためであっただろう。

美学vs実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力15年史 P18-19

つまり任天堂のレクチャーとは、ゲームとはどのようなものか、というものというよりは、むしろプラットフォーマーとしての心得的なものなんですよね。もし物語を広げるのなら、こちらのソースを使って広げたほうがより適切になるかと思います。少なくとも「プレイステーション1には任天堂のDNAが宿っている」より、ずっと事実に近しいはずですから。


以上で日本刀を叩くのを終了しますが、ちょっとここからは私事的な内容になります。

岩崎啓眞先生の同人誌、ハドソン伝説4を読んでいたら、おそらく私に当てて書いたであろう記述があり、見事に胸にぶっささりました。私の書いた物語が婉曲表現で「まぁ違うよね」といわれていたのです。なので思わず本に土下座をしてしまいました。岩崎啓眞先生、本当申し訳ありません(いったいどのような内容だったのかは、実際に購入してご確認ください!)。

……自分の書いた物語が別方向から指摘を受けたときの気恥ずかしさは本当にもう、筆舌につくしがたいものがあります。

岩崎夏海氏・稲田豊史氏ともにそれを覚悟で、オープンソースの発想をこの本に持ち込みました。その覚悟に敬意を表します。



……ちなみにまだ叩ける場所があるんですが、その、どうしましょ……?


─終わり─


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