山内さんのマリナーズに対する秘めた思い
スポーツライター 丹羽政善
先月19日に亡くなった任天堂前社長の山内溥(ひろし)さんから、間接的に連絡があったのは、2003年の夏前――長い雨期を終えたシアトルに、ようやく柔らかな日差しが降り注ぐようになった頃だったと記憶する。
「お伺いしたいことがあるのですが」
日本経済新聞夕刊で連載していたあるコラムをお読みになり、気になることがある、というのだった。
■ズバリ指摘「書き足りないのでは」
コラムの内容はマリナーズについて。正直なところ、間違いでもあるのかと思った。コラムには山内さんがマリナーズの筆頭オーナーになるまでの経緯も書いた。
山内さんが筆頭オーナーとなった当時、マリナーズは移転の危機にあり、ワシントン州選出のスレード・ゴードン上院議員を中心としたグループが、地元の有力企業に出資を求め、存続を訴えていた。しかしながら、成績が低迷し、客の不入りが続くチームへの投資などどこも興味を持たない。そんなとき山内さんが「では、協力しましょう」と了承した――という話に加え、他球団の一部オーナーから抵抗があったことにも触れている。
ただ、何度確認しても誤りはない。そもそも、掲載前にも慎重に流れをたどっていた。
自分の中で引っかかっている点があるとしたら、それは全部を書ききれなかったこと。ネットとは違って、紙面には限りがある。取材したことの半分も字にできなかった。そこに消化不良があったが、聞きたいというのはなんと、「書き足りないことがあったのではないですか。それはなんだったのですか」という指摘だった。山内さんはそこまで読み取っておられた。
■野球やチームと距離をとるも…
「興味はない」「正直何とも思っていない」
山内さんは1992年にマリナーズを買収したとき、野球やマリナーズについて距離のある発言をしており、「あくまでも地域貢献」とも話していた。それが、マリナーズに対する山内さんの変わらぬスタンスだと思ってきたが、どうやらまるで違った。いや、変わったのか。
そのときの縁で、それからもたびたび、やはり間接的ではあるが、山内さんのマリナーズに対する思いに触れた。
3日付の日本経済新聞夕刊コラムでも紹介したが、例えば、試合開始が午後1時、日本時間では朝5時になるシアトルのデーゲームを、山内さんは一回の表からご覧になっていたそうだ。
■「20億、30億円出すから補強しろ」
2003年は、特に思い入れを強くしていたよう。その年の7月、マリナーズはまだ地区首位を走っていたが、得点力の懸念が徐々に見え隠れするようになっていた。
すると山内さんは、居ても立ってもいられなくなり、「必要なら20億でも、30億円でも出すから、補強しろ!」とマリナーズの最高経営責任者(CEO)を務めていたハワード・リンカーン氏に伝えたそうである。
これは、山内さんだけが感じていた不安ではなかった。ジェフ・ネルソンという投手も同じ頃、攻撃陣の補強の必要性を口にしている。さらに言えば、前年も当時のルー・ピネラ監督が「トレードで打者を補強する必要がある」と訴えていた。
しかし、リンカーンCEOは山内さんの申し出を、「1人のオーナーが口を出し始めたら、他のオーナーも口を出し始めて収拾がつかなくなるので、遠慮してくれ」と断ったという。結局マリナーズは補強を見送ると、終盤にその不安が露呈してプレーオフを逃した。
■筆頭オーナーでも主導権握れず
このことから、少し見方を変えれば、筆頭オーナーといえどもすべてが自由になるわけではないという、限界が透ける。
マリナーズは重要問題を決めるとき、7人の投票によって最終意思決定が下される。このうち、山内さんの意向を受けた任天堂の票は2票。その中に米国任天堂出身のリンカーンCEOの1票が含まれる。残りの5票は他のマイノリティーオーナーらが持つ。よって、山内さんが無条件で主導権を握れるわけではなかったのだ。
もちろん、イチロー獲得時のように山内さんの強い意志が働いたこともあったが、それはむしろ、まれなケースだったといえよう。
話を戻せば、同じ03年の春にも、山内さんの選手に対する気遣いがうかがえた。
■日本で開幕戦、誰よりも楽しみに
これも3日付の夕刊コラムでも紹介したが、この年の春、マリナーズは日本で開幕戦を行う予定になっていた。しかし直前になって、イラク情勢が悪化したことから中止となっている。
このとき、その開幕戦を誰よりも楽しみにし、選手に会えることをずっと待ち望んでいた山内さんは、彼らへのお土産にと、グローブとボールをあしらった純金のキーホルダーを用意していたそうだ。
行き場を失ったキーホルダーはその後、山内さんの手元に寂しげに残されていたが、やがて役員らに配られている。しかし「おまえたちにやるはずではなかったのに」と、渋い表情だったとのことである。
その後、大リーグ機構は日本での開幕戦を検討する際、必ずしも毎回ではなかったようだが、マリナーズに対して「どうか」と打診をしていた。それが昨年まで実現しなかったのは、単に縁がなかっただけのことかもしれないが、山内さんとしては、マリナーズが強くなって堂々とその姿を披露したい、との思いをお持ちだったようだ。
■ファンやメディアに生じた誤解
今振り返って少し残念なのは、そこまで強い思いを持っていたのに、決してそれを表に出そうとされなかったことか。ただそれは、山内さんを知る人には理解するのは難しくなかった。
すでに触れたが、マリナーズの買収はあくまでも地域貢献が目的。そうした地域貢献、社会貢献を山内さんは数えきれないぐらいされてきたが、それらを決して公にすることはなく、宣伝するような行為を強く戒めていた。
よってマリナーズに関して表立って何かを発言したり、マリナーズを任天堂の広告に使ったりするようなこともなかったわけだが、それによって誤解を生んだことも確か。米メディアはずっとこう捉えていたのである。
「ヤマウチはマリナーズなんて、どうでもいいのだろう」「自分のチームを生で見たことがないオーナー」「チームを補強するためにお金を使おうとしない」「ヤマウチにはチームを強くしたいという思いがない」
それによってマリナーズファンも、山内さんに間違ったイメージを持ち続けてきた。おそらく、20年以上も。
しかしながら、山内さんが亡くなってからチーム売却の噂が出始めると、マリナーズファンは山内さんの存在感の大きさを改めて知ったか。
1976年に創設されたマリナーズのオーナーは、山内さんが4人目だった。それまではオーナーが代わる度に移転が噂された。今回も新オーナーがマリナーズを買収すれば、限りなくゼロに近いとはいえ、将来的に移転させる可能性はなくはない。そのことにファンはおびえ始めている。
■最大の地域貢献となった球団存続
山内さんがオーナーとなってから、95年の新球場建設を巡る騒動を除けば、マリナーズがシアトルから消えるという不安は一度もなかった。それが彼らに与えていた安心感――角度を変えれば、山内さんの最大の地域貢献ではなかったか。
米メディアも、山内さんが亡くなってからようやくその大きさに気づいたのだろうか、地元シアトルのラジオ番組を聞いていると、いつもは辛口のホストらがこんなふうに言っていたのが印象に残っている。
「考えてみたら、今、子供たちを野球場に連れて行けるのも、ミスター・ヤマウチのおかげだ」「今のチームはどうしようもないけど、こうして愚痴を言えるだけでもましだ」
そして、口々に感謝の言葉を述べていた。「あのとき、チームを救ってくれて、本当にありがとう」
そろそろ長くなって来たので筆をおくが、山内さんならおそらくお分かりになられるだろう。山内さんについてまだ書ききれないことが多く残っていることを。